FF10のストーリーを深く味わうための視点を紹介、解説します

FF10 ロゴ

FF10のストーリーをより深く堪能するための視点をまとめてみました。今見るとちょっと臭すぎると思う演出もありますが、ストーリーや世界観の作りこみは本当にすごいと感心させられます。

FF10では多くの対比によってそのストーリーが演出されています。その対比を意識することによって、より深くストーリーを楽しむことができます。ネタバレを含むので、未プレイの方はクリアしてからお読みください。

ティーダとユウナ

FF10の中で、一番はっきりと対比されて描写されているのがティーダとユウナです。

父親との関係

まずストーリー序盤ではっきりと明示されるのが、二人の父親に対する心象です。お互い大召喚士、ブリッツボールのスター選手という偉大な父親を持ちながら、その感情は対照的に描写されます。皆から尊敬される父を誇りに思うユウナに対し、父に対し軽蔑、恨みといった感情を向けるティーダ。

ウイノ号でのティーダとユウナ

実際には、ストーリーが進みジェクトのスピラにおける足跡を辿っていくにつれその感情にも変化が訪れていき、物語最終盤のティーダとジェクトの再会シーンへと繋がっていきます。ティーダがジェクトとの関係に向き合うというのが、シンとの戦いと並んでFF10のメインテーマになっていくのです。

大キライだ

旅の主役とストーリーの主役

FF10の主役はティーダですが、これはあくまでもプレイヤー視点であり、スピラの中では召喚士ユウナがシンを倒す旅として物語が進行していきます。ユウナがシンを倒すという歴史の表の物語と、ティーダがジェクトとの関係を清算するという歴史に載らない裏の物語がゲーム終盤では見事に1本に交わるようになっています。

シンを倒した代償となるのは誰か?

究極召喚でシンを倒した後、召喚士は死ぬ。ストーリー中盤で明かされる衝撃の事実です。この事実を知った後、ザナルカンドに近づいて行きつつも、ティーダやリュックは何とかユウナを死なせまいと考えを巡らせます。しかし、ザナルカンド遺跡のエボンドームでユウナレスカと決裂した瞬間、前提となっていたユウナの死は回避され、シンを倒した後犠牲になる人間がユウナからティーダに入れ替わるのです。

ガガゼト山頂 ユウナとリュックの会話

その後、ユウナの死が回避されたことでシンを倒そうと勢いづいていく裏で、人知れず(ユウナ、アーロンは感づいている描写もありますが)ティーダはスピラからの消滅へと近づいていきます。ユウナレスカとの戦いはゲームの山場であるとともに、FF10のストーリーの大きなターニングポイントとなっているのです。

ユウナレスカとの決戦

「ユウナ!いっしょに続けよう、オレたちの物語をさ!」

ユウナレスカとの決戦前にティーダはユウナに呼びかけます。CMでも使われた有名なセリフですね。この言葉通り、もうすぐ終わるはずだったユウナの物語はずっと続いていくことになり、一方でティーダの物語は図らずも終幕へと向かうことになります。

ザナルカンドにて

「最後かもしれないだろ。だから、全部話しておきたいんだ」

そしてもう一つ。FF10をプレイした人なら誰でも暗唱できるこのセリフですが、ティーダがこのセリフを発した時点では、「最後」はもちろんユウナの最後を指しています。しかし結果として、この「最後」はセリフを発したティーダ自身にかかってくることになるのです。

この時のティーダの回想話はユウナに遮られてしまいエボンドームへ向かうことになりますが、この後ティーダがスピラからいなくなってしまうという結末を知ってからみると、非常に切ないシーンであるといえます。

スピラの内と外

ほぼ全てのキャラクターは物語の舞台となるスピラの人間ですが、ティーダ、ジェクトはスピラの外から来た人間であり、アーロンはその中間に当たります。スピラの外から来たティーダとゲームのプレイヤーが重なることで、ゲーム中の長々とした世界観の説明セリフも違和感なく聞けるように演出されています。

シパーフ上での会話

ワッカとシェリンダ

シェリンダとの会話

登場人物の中でも、最もエボンの教えに忠実なキャラとして描かれているのがワッカ、そしてシェリンダです。マカラーニャ近辺までストーリーを進めたところでワッカのことを嫌いになるのは誰もが通る道です。

ワッカのエボンへの忠実ぶりは、ユウナがアルベドとのハーフだと知った時ですらすぐに受け入れることが出来ないなど、相当なものがあります。もちろん弟チャップがエボンの教えを破ってシンに立ち向かい死亡した、という事情もありますが…

マカラーニャ湖 ワッカとリュックの会話

しかし冷静に見ると、逆にユウナやルールーのほうが、スピラの内側の人間でありながら考えが柔軟すぎるともいえます。脚本を担当した野島一成氏も、FF10-2アルティマニアΩの総括インタビューでお気に入りのキャラとしてワッカを挙げており、その理由はスピラの世界の中の普通の人をうまく表現できたから、とのことでした。

僧兵と討伐隊

僧兵とは寺院の警護などにあたるいわばスピラの公務員であり、アーロンやキノックは僧兵の出身です。一方、討伐隊はエボン寺院公認ではあるものの、あくまでも民間の組織です。ストーリー序盤は討伐隊がミヘン・セッションに向けていきり立っている様子が描写されますが、エボン寺院の企み通り作戦は失敗し、その後街中には僧兵が溢れるようになります。

ベベルの僧兵

しかしストーリー終盤で次々と老師が死亡しエボン寺院の混乱が広がると、再び討伐隊が街中で存在感を見せるようになります。この僧兵と討伐隊の対比というのは、FF10-2でも新エボン党と青年同盟の対立として引き継がれることになります。

チョコボ騎兵隊

この辺りの事情は街中のモブキャラに話しかけてみないと全く意識することなくゲームを終えてしまいますが、ストーリー中のスピラの世界の動きを知る上で重要なポイントになります。

ブラスカ一行とユウナ一行

ブラスカとユウナの旅には、ジェクトとティーダというスピラの外から来たガードが同行しているという共通点と、最終的に究極召喚を使うという選択をしたかどうか、という決定的な違いがあります。

10年前のアーロンとティーダ

10年前のアーロン

エボンドームのティーダ

ブラスカとユウナの旅において一番対比されているのは、昔のアーロンとティーダです。ルールーやワッカがユウナレスカの言うとおり究極召喚の祈り子となることに名乗り出たのに対し、その選択を必死に否定しようとするティーダ。これは10年前に究極召喚でシンを倒すことを決意したブラスカとジェクトを止めようとするアーロンと全く同じです。決戦前にいきり立ってユウナレスカに向かっていくシーンで二人は見事にシンクロします。

ユウナレスカへ向かっていくティーダとユウナ

ジェクトとティーダ

ジェクトとティーダは、ブリッツのスター選手であること、お調子者で世話焼きであるところなどまさに似た者親子ということができます。そして何より、最終的に自分を犠牲にしてスピラのためにシンと戦ったという共通項があります。

ジェクト

スピラの「死の螺旋」とは、シンの本体である1000年前の召喚士エボンと、その娘ユウナレスカが生み出した究極召喚による無限ループであり、いわばエボン親子によるマッチポンプのようなものです(ただし、ユウナレスカにも彼女なりの正義があります、後述)。FF10のストーリーは、エボン親子によるスピラの「死の螺旋」を、ジェクト・ティーダ親子が断ち切る物語ともいうことができます。

ティーダのOD「スパイラルカット」は、直訳すると螺旋を断ち切る、という意味になり、実はストーリー当初からネタバレ(?)しています。

ベベルとザナルカンド

ストーリー中では祈り子、召喚士を管轄し機械を禁止するエボン寺院の総本山がベベルであると説明されますが、このエボン寺院が成り立つまでの過程にはベベルとザナルカンドの非常に複雑な関係が隠れています。

ベベル

事の発端は1000年前に起こった機械を使った大規模な戦争にあります。ストーリー中では現在召喚士を管轄しているのがベベルであることから、機械仕掛けの町ザナルカンド側が機械兵器を使ったかのようなミスリードがなされています。しかし事実は逆で、機械兵器を使ったベベルが召喚士を抱えるザナルカンドを劣勢に追い込み、結果としてシンが生まれたというのが真相になります。ベベル寺院の内部に機械が使われているシーンなどは、この背景を説明するシーンの一つです。

ベベル寺院内部の機械

時系列を簡単にまとめると以下のようになります。

エボンと祈り子

ひとつ重要なポイントは、1000年前のザナルカンドの召喚士たちがエボンに利用されて祈り子となったわけではない、ということです。理想のザナルカンドをスピラの世界に残すというのは、不本意な形でベベルに滅ぼされることとなったザナルカンドの召喚士たちの総意だったのです。

ガガゼトの祈り子

しかし彼らにとって想定外だったのは、召喚士エボンが自らはシンとなり、理想のザナルカンドを永遠にスピラに残そうと考えていたことでした。その結果、祈り子たちはエボンに力を利用されながら1000年にも渡って理想のザナルカンドを召喚しつづけることになったのです。祈り子たちはストーリー中でこの状況のことを、夢を見続けていて疲れてしまった、と表現しており、この理想のザナルカンドも「夢のザナルカンド」という呼ばれ方をしています。

祈りの歌

祈り子が好んで歌う祈りの歌も、もとはザナルカンドのものでした。エボン寺院が発足した際、その教えに反するアルベド族などが祈りの歌を反エボンの旗印としたため、エボン寺院は祈りの歌も教義に取り込むという策をとりました。アルベドのホームを爆破する際、反エボンであるはずのアルベド族が突然祈りの歌を歌い始めるシーンにはこのような背景があります。

祈りの歌をうたうアルベド族

ベベルとザナルカンドの本当の歴史については普通にストーリーを進めていると深く語られませんが、マイカ消滅後のガガゼト山門にいる物知り爺さんメイチェンが長々と語ってくれます。FF10のストーリーを理解するなら是非聞いておきたいところです。

ガガゼト山門にいるメイチェン

理想のスピラ

ストーリー上でユウナたちと意見が対立するマイカやユウナレスカですが、彼らもユウナたちとは違う視点でスピラの将来を案じていたという点も重要です。

ユウナ一行とマイカ、ユウナレスカの考えの違いは、シンの本体であるエボン・ジュを消滅させることが可能かどうか、という前提の捉え方から来ています。ユウナたちとは違い、マイカやユウナレスカはエボン・ジュを倒すことは不可能だと考えているので、現状の「死の螺旋」の継続こそがスピラの民のためだと信じていたのです。

マイカとの会話

ユウナたちがエボン・ジュを倒せるという確信を持つことが出来た背景には、ジェクトやティーダというスピラの外から来た人間が大きく影響しているというのは間違いありません。FF10の中ではユウナ一行と敵対するエボン寺院ですが、エボンの教えがない世界でスピラがシンの脅威から生き残ることが出来たか、ということを考えると、エボン寺院にも一定の評価が与えられるべきと言えるかもしれません。

シーモア

シーモア

ユウナ一行VSシン、というFF10のメインテーマに外から絡んでくるのがシーモアになります。ヒトとグアドのハーフであること、召喚士であること、父親が皆から尊敬を集める人物(エボンの4老師 ジスカル)であることなどユウナと共通する点が多いですが、その生い立ちには大きな違いがあります。

ビサイドという田舎の島で親族以外の人たちから愛情を受けてのびのびと育ったユウナに対し、ハーフであることから周囲から迫害され辛い少年時代を送ったシーモア。シーモアの母親は、自身が究極召喚の祈り子となってシーモアに力(その召喚獣がアニマ)を託し、シンを倒したヒーローとしてスピラでシーモアの名誉を回復させようと試みます。

シーモアの母

しかし信頼する母親までも失ってしまったことでシーモアの性格は歪んでしまい、結果究極召喚を行使することはせず、自身の野望を実現すべく暗躍し始めます。シーモアの最終目的は、自身がシンとなり、スピラを滅ぼして人々をシンの恐怖から解放する、ということです。

シーモアの考えは、死ねばシンの恐怖からも解放される、という一種の破滅思想のようなものです。ユウナと結婚した後にユウナの究極召喚の祈り子となり次世代のシンとして生まれ変わる、というのが当初の計画でしたが、その目論みは失敗に終わります。最終的にはガガゼトでユウナ一行に破れたあとシンに吸収される形でシンの体内に侵入することに成功しますが、最終決戦で破れついに異界へと送られることになります。

幻光虫

幻光河

FF10における最重要キーワードが、幻光虫(げんこうちゅう)です。虫とついていますがムシではなく、いわばFF10における根源的な物質のようなものです。スフィア、魔物、召喚獣、シンなど、FF10の世界におけるありとあらゆるのものがこの幻光虫から出来ています。幻光虫が集まってできた実体のことを幻光体と呼びます。

幻光虫はヒトの「想い」に反応する

幻光虫には、ヒトの「想い」に反応する、という大きな特徴があります。FF10における魔物は無念や恨みをもって亡くなったヒトの「想い」が幻光虫と結びついて幻光体となったものですし、召喚獣は祈り子の「想い」を召喚士が幻光虫と結びつけて具現化したものです。

ティーダの母

異界では、亡くなった人のことを心の中で「想う」ことで、幻光虫がその想い人の形となって現れます。

死人

シーモアに呼び止められるアーロン

死人(しびと)とは、強い「想い」をもって亡くなったヒトが、死してなお幻光体としてスピラの世界に留まっている状態を指します。かつてルールーがガードを務めていた召喚士ギンネムのように、姿こそ生前のままを保っていても意識は魔物と化している人物もいるため、よほど強い「想い」をもった限られた人物でしか死人にはなれない、ということになります。

ルールーとギンネム

FF10のストーリー中で登場する死人としては、アーロン、シーモア、マイカ、ベルゲミーネ、ギンネム、メイチェン、訓練所の親父(トレマ)、が挙げられます。メイチェンやトレマの正体についてはFF10-2で明らかになるので、未プレイの方はぜひ確かめてほしいところです。

『シン』とは何か?

シンとの最終決戦

『シン』の正体は、ストーリー最終盤でエボン・ジュを守る幻光虫の鎧、と説明されます。エボン・ジュは召喚獣に乗り移る能力を持っており、まず究極召喚によって幻光虫の塊である『シン』が破壊されると、その間にエボン・ジュは究極召喚に乗り移り、それが新たな『シン』の核となります。

この時、強い絆の力で究極召喚と結びついた召喚士は、その「想い」をエボン・ジュに断ち切られることにより死亡します。これが究極召喚を使用した召喚士が亡くなる、という仕組みの真実になります。

エボン・ジュにはもう一つ重力を操る能力(戦闘中にもグラビジャなどの魔法を多用します)があり、乗り移った究極召喚を核として幻光虫を引き寄せ、新しい『シン』を作り出します。エボン・ジュは、この重力を操る能力により、普通では考えられないほどの高密度の幻光体、すなわち『シン』を生み出すことが出来ます。この新たな『シン』の体を生み出している期間が、「ナギ節」と呼ばれる『シン』の出現しない平和な期間になるのです。

エボン・ジュ、そして『シン』の行動原理は、理想のザナルカンド(夢のザナルカンド)を永遠にスピラに残したい、というただ一点のみであり、そこに善悪の区別はありません。とにかく理想のザナルカンドの消滅(=自身の消滅)を防ぐために、自身に仇なすことになるかもしれない文明の発展を阻害すべく街を襲う、という行動のみを1000年間繰り返しているのです。

エボンの教えの中では、あたかも『シン』が人々の原罪であるかのように説明されますが、これは真っ赤なウソになります。ただし、発展した文明を襲うことや、機械で武装して敵意を向ける人間を襲う、という点に関しては真実といえるでしょう。

異界送りと究極召喚

キーリカでの異界送り

異界送りと召喚は、FF10の世界において召喚士のみが有する特殊能力です。異界送りとは、ストーリー中では死者の魂を沈めて異界に送り魔物になることを防ぐ、と説明されます。ここまでの内容を踏まえた上でさらに厳密にいえば、生物の「想い」を昇華して幻光虫との結びつきを解く能力、ということもできます。

実際にEDムービーの冒頭では、ユウナの異界送りにより幻光体である『シン』の体が幻光虫へと飛散して行く描写があり、異界送りの対象が死者だけでないことがわかります。

幻光虫へと飛散するシン

またFF10のキーワードの一つである究極召喚は、祈り子となる人物と召喚士を繋ぐ絆(想い)の力によって高密度の幻光体である『シン』を幻光虫へと分解する能力のことを指します。これらの能力を鑑みると、FF10における召喚士というのは、限度はあるものの幻光虫を自在にあやつることができる人物のことだということができます。

幻光虫=ライフストリーム?

幻光虫の設定を理解して行くと、FF7のライフストリームによく似ているという結論にたどり着きます。FF10-2では、シンラ(神羅)という名前の天才科学者が登場したりと、スピラの世界の延長線上にFF7の世界があるのでは?、ということが示唆されています。

FF10-2アルティマニアオメガの総括インタビューでもこの点について触れられている場面があります。ただ今の所はあくまでも原作者の遊び心的な部分もあり、本当にこの2つの作品がつながっているかどうかは彼らの気分次第、としかいいようがありません。

雑記

どうだったでしょうか?普通にストーリーを進めているだけだと説明不足のシーンが結構あるので、世界観や設定を意識しながら再プレイしてみると、より深くFF10のストーリーを堪能することが出来ますよ。

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